製本します。自分の毎日と気付きを大切に。

人生後半戦。自分の気付きを大切に綴っていきます。

こわごわとしている

こわごわと目覚め、1日中こわごわとしているのって、当然だけど辛い。
自分の機嫌を取ったり、見放したり、なだめたり、こんなことばかりしてる。
デフォルトで辛いです。

でも「〇にたい」と思うことだけは違うんだと、いつも自分に言っている。
頻繁にこう思うこと、圧死しかねないほどの圧の中に居ること
ここに自分を置いていること、全てがある意味で、危険なことをしているのだ。
自分で、これをやっているのだ。

こんな時に限って、仕事や用件が入って、私の気持ちを変えてくれる。
これはとてもありがたいこと。


昨日は「もう何にも執着ない、何も私を繋ぎ止めるものも、未練もない」と
もう残務のことしか考えてなかった。
でもたった1つ「寂しい」とは思った。
まだ、あの人たちと、私の知ってる人たちと、一緒に居たいと。
これだけは確かに、思った。

この圧死しそうな圧も、自分で創ったもの。
だから折り返さなければならないし、折り返すこと自体はどうにかできるかも。
その後に進むエネルギーが残っているか、それを考えてしまう。

でも昨夜見た動画で
「自分はぼろ雑巾になっても、馬車馬になってもいいから、従業員を守りたい」
という、がけっぷちの社長の姿を見た。
そこに心を打たれた成功者が、支援の手を差し伸べようとしていた。

私も、ものすごい反省がある。
だからこれで、〇にたいと言って逃げるのは違うのだと、本当に分かっている。

潜在意識にある「私なんて必要ない」
これを、コツコツコツコツ変えていきたい。
この努力はずっとしてると思うんだけど。

たとえば1時間散歩すること。
口で「自分を愛そう!」などと言うより、思ってばかりいるより
行動で、やっている。
相当コツコツコツコツやっていて、積み重ねている。
これに精神のほうもプラスすればいいだけ、というか。
精神のほうは、明らかにやっている量が足りないから。

積み重ねて積み重ねて、いつか勝つのだ。
そのいつかは、そんなに先ではないかもしれないと思って、やっている。

本当に卒業するんだな

初めて自分自身で創った仕事を卒業し、2つ目に創った仕事に移ります。
本当に、本当に卒業なんだな、ということを噛みしめてる。

ハッキリ言って、ものすごく心身がラクになった。
まだ決まっているイベントや個展がいくつかあるし、その後の残務も膨大だから
年内いっぱいかかる。

プラス、その後もやり方を変えて、この仕事をしていく可能性もある。
私の2つ目の仕事と掛け合わせて、やっていく可能性がある。

でも、でも、今のようなやり方は終了だ。
これを終了すると決めただけで、ものすごく軽くなったのは事実なんだ。

私も、行けるって。
私も本当に目指したいものを目指せるって。



完了を創ろう。
アルバムを買ってきて、これまでの自分の作品の写真を貼っていこう。
かけがえのない、大切な大切なもの。
後から振り返って、胸がギュッとなるもの(今だってなる)。
大事に完了を創って、次に、行こう。



直近の仕事がふるわなくて、とっても痛い思いをした。
旅先なのに眠れず、苦しくて苦しくてたまらず、生きた心地が無かった。
でも宿の中で、ハッと気づいて周りを見たら、私は旅の最中なんだって思った。
特別な場所で、特別な時間を過ごしているんだって。
そしたら「まだ途中なんだ」と思えて、だんだん心が静まっていった。

帰宅して、あの苦しさは貴重だった、と実感してる。
次に向かう転機となったのもあるけれど、自分の意識の甘さ、商品の甘さ
今までやっていたことは、恐竜のように滅していくのかもしれないということ
私はその次のやり方に移っていくのだということ
結局は、たくさんの学びがありました。

残務の多さに、気が遠くなりまくっている。
でも、必要な情報は全て、これ以上ないほど全て、私の目の前にある。
必要なすべてのサポートが、そろっている。

旧い私は絶滅の道を辿っていて、新しい私がバトンを受け取って走り出していて。
この2つを、常に味わっている。

やっと現実 → 卒業

今の仕事は利益率は良いけれど、常に色んなリニューアルをして
備品を購入したりとかするので、結局はうまくいきづらい仕組みだ。
やっとこさ、この現実を認め始めている。

「上手くいくやり方を見つけるまで」は継続していこうという考えだったけど
上手くいくやり方を見つけてやったとしても、途方もない労力がかかる。
私は、それを喜びとしてはやれない。
苦しみでしかない。

だから。
辞めるとはいわず、卒業します。
辞めるまでも残務があるし、決まっている仕事もある。
もしかしたら、より波長の高い作品にして継続する可能性もあるけど
もう、メインの仕事にして頑張りまくるのはやめる。

7年やって、ここです。
私は自分の仕事に依存し、しがみついていた。
しごとは私を支えてくれ、強くもしてくれたけど、消耗もすごいです。
かけがえのない学びや、出会いも多くあるけど、
これを全部自分で創った(!)というのは素晴らしいことだけど
そろそろ次、です。

どうしてこんなに苦しい人生なんだろう、と思ってる。
心から思ってるけど、全部全部、私が望んだこと。
私が望んだとおりになっているだけ。

自分への激しい憎しみが、時折顔を出す。
これは自分への愛だったのだ、という思いも。
混ぜこぜになってるけど、両方真実です。

 

望みはとてもシンプル

暴食を完全にしなくなり、自然にやせて適度な体型になり
ドレスワンピ着たりとか、おしゃれを満喫しまくって
自分の仕事で生活していこう。

私の望んでいることはただそれだけなのだ、と知った。
ただそれだけのことがずっと達成できず、その手前に居続けていた。

もう射程範囲内、もう行ける、私が自分を妨害しなければ。


先日、お金の世界に行こうとしてるんじゃないか?という友人と話して。
ちょっと前の私を見ているみたいだったけど、寒々しいとまで言わないけど
薄っぺらいなと思った。
どうしてそんなことを言うの、そんな言い方するの、ということばかりで
ちっとも私の憧れる世界では無かった。
私の世界に居る人達と比べてしまった。

お金じゃなく在り方なんだよ、それが一番大切なものなんだよと
寂しくなりながら思った。

私は自分の仕事を成す、成す手前に居る。
しっかりとこれまでの自分を完了する。

 

濃い日々&キャベツ千切り三昧

今月から、ワークショップ開催の仕事をスタートして、とても新鮮な気持ち。
エネルギーが巡って、疲れず、むしろパワフルになれる。
生きてる!!って感じがするなあ、本当に。
そしてその後に、帰宅してちょっと寂しくなったりする、どんよりしたりする
でもそれも含めてOKと受け止められるんだ。

そう、本当に、生きてる!!って感じがするな。
ひと言でいうと。

私はイベントが好きなのかもしれない。
もう1つの仕事もイベントで、終わった後は同じ感覚だから。

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家では、とにかくキャベツ千切り三昧してる。
やけに美味しくて、これ最優先のメニュー構成だ。
今日の夕食なんか、ほぼキャベツのみ。

身体が求めて止まらないから仕方ないというか、生き返るような味わいだ。
このモードを忘れて、こってりしたものを食べてしまうので
ここに記しておきたい。

ニンジンジュース、きゃべつ千切り、これは食べ始めると止まらないもの。
血液をきれいにしたいんだと思う。

 

粉砕

私の身体に疾患があるのだから、向き合うべきはそこだけ。
外側のモノを得よう、いい気分や明るい気分になりたい、仕事をやりまくろう、とか
その前に、身体に疾患があること自体が、辛くて辛くてたまらないのだから
向き合うべきは、そこだけじゃないか。

仕事も何もしない、というわけではないけれど
疾患がある限り、歩く地獄のような状態になっているのだから。

私はこれが原因で、年に数回は崩壊するし
細かく言えば毎日毎日辛い。
それを「何かを得るために!」という過剰な挽回心で、フタをしてやってきた。

そのフタ自体も爆発して、壊れて、私は粉砕してるんじゃないか。
生きること自体どうしよう、という程の状態にまでなった。
死のうか?とは一瞬たりとも思わなかったけど、もう限界だと思った。

こんな状態を続けていることの方がおかしい。
私はずっと、自分の声を聴かなかった。


朝ドラで母と子が言い合うシーンを見て、母が無理解にも程があると感じて
イラッとしていたけれど、あれは自分そのものじゃないか。
自分の声を一切聴いていなかったじゃないか。

治すべきはこの身体、問題はこの身体(そして心)にあるのに。

 

限界ギリギリ

昨夜は精神状態が限界ギリギリに達していた。
殆ど眠れず、一晩中、寝返りをうち続けた。
苦しい、苦しい、苦しい、潜在的な「●にたい」を味わい続けた。
私の根底に、奥底に、ベットリと貼り付いている、それを。

普通は、これほどの状態で、生きていたいものだろうか?
20年以上、間断なく苦しんでいるけれど。
普通はこれでも生きたいと思えるものだろうか??
フタしている感情が暴れ出して止まらない。

どうしてこんなに苦しいのか。いつまで続くのか。もう休みたい。
もう、静かになってしまいたい。。。
この気持ちをこらえて生きているから、暴食を完全には卒業できない。

無駄に悩まず

味覚異常でコーヒーを断ったり、マグ半分にしていたので
睡眠の面では良かったけど、お通じの面では良くなかった。
こんなにも腸に影響していたとは。

今日、ひさびさに1.5杯飲んだら、普通にお通じがあった。
2、3日空くという異常な状態をずっと続けていたので
「大腸ガンかも?」とさえ思い始めていたのだ。
以前、悪性ポリープを取ったことがあるのもあって。

無駄に悩まず、思考が一方向に行きすぎていると感じたら
思いつめるのはやめようと思った。

体調の揺らぎ、生活スタイルの揺らぎがある、今のほうがいい。
一切そういうのを許可していなかったけど。


私って、少しでもうまくいくと、好調になりはじめると
とたんに本屋に出向いて、いろいろと脱線するための本を買おうとする。

今日はファッション本、ファッション雑誌、ダイエット、スピリチュアルまで
ありとあらゆる分野を見回っては、買いたいなという衝動と闘っていた。

サクッと買わなかったのは、どうせ脱線だと分かっていたから。
活かすのではなく、活かさず失望するための買い物だとさえ、すでに分かってた。
買えば良かった、という本があるけど、買ったところで、真剣にはやらない。


行動、行動、行動が大切なのに私は、少しでもうまく進み始めると
意識をフワフワ、キラキラさせて、想うこと、願うことばかりしたくなる。
だいぶ、そういう自分は居なくなったつもりだけど。
むしろ、切り離されていたかのように、作業ばかりどんどんやってきたつもり。
でも、いちいち脱線してるのも事実だ。
ここでしなければ、今とは違っているだろう、まるで。

何かに憧れることに、ずいぶん時間を使っている。

重苦しいモヤモヤを抱えて

朝から制作して、楽しくはあるものの、心にモヤモヤが残る。
これが何だっていうんだろう?というような気持ちになってくる。
今月は販売の場を設けていないというのもあり、喜ばれる機会が無いので
実感しにくいというのもあるけど。

心に重苦しいモヤモヤをずっと、ずっと抱えて。
ここ数年は自分の仕事を開発するために、全ての時間と労力をかけて。

うまくいってるとも、いってないとも言える。
本当に、どちらとも言えます。

やることがありすぎて、ありすぎて、何てシンプルじゃない生活をしてるんだろう?と
思ってしまいます。

はあ、という嘆き。
せめて抑圧しないで、出す。
ずっと号泣するなんて出来なかったけど、号泣したら色々巡ったりもしたんだよな。

本当に、この調子で生きている。
はあああ、と思ってる。

楽しいけど、軽さが無いんだよ。
独力、我力の世界にまだいるんだよ。



親に対して、これ以上ない酷いことを思ってしまう。
そして目の前で温かく動いている親をみて、ごめんなさいと謝る。
いつも脳内はおかしくて、目の前にある現実が、真実なんだよと
自分に言い聞かせてる。

目の前にある実体を、感じよう、感じていよう。

薄皮をはぐように1ミリずつの前進です。
パッと明るくなるような思いも、したいんだ。

 

いま苦しければ未来も苦しい

いま苦しければ未来も苦しいということ。
そのまま走り続ければ走り続けるほど、より苦しくなるということ。

いまは我が焼かれている最中!というぐらい自分が変わっていっていて
数年ぶりに発熱までしている。
こんな自分を更に責めるのではなくて、受け入れよう。

どんな結果が出たからといって、苦しまなきゃいけないわけでは無い。