製本します。自分の毎日と気付きを大切に。

人生後半戦。自分の気付きを大切に綴っていきます。

大袈裟な思考パターンを直したい

新しく創った仕事を間近に控えて、アドレナリンが出過ぎて
1日2~3時間しか眠れず、しかもその睡眠も浅い(!)ということになってしまって
それが1週間ぐらい続いた。

限界!と思いながら、浅い眠りから起きる。
日中も全く、眠くならない。

でも今日は久しぶりに、よく寝た~!という感じ。
同じく3時間だけど、一応は深く眠った。


もう死にそう...と思うか
フロー状態、深夜まで仕事できる!と思うか
どっちも偏ってるけど(笑)
それで全然、その後の展開が違うんだな、と改めて感じた。

今は通常の時とは全然違うんだから、眠れなくて当然といっても良い位。
大袈裟な思考回路を直したい。

まるで羊のように

生活を成り立たせられず、バイトを完全には辞められない状況には
いつも脳内でギャーギャー悪態をついていた。
(恥ずかしながら「自分の仕事にかけてきた労力、ものすごいのに!」と思って)

そういうのが無くなって、変な「自分は苦しい人生だった」みたいな陶酔も無くなって
そしたら、穏やかで穏やかでたまらないということに気づいた。
羊のように?平和だ。

これまでの私は、この羊モードになるのが嫌で、自分で欲を煽ったり
足りないを数えたり、バイトに文句を付けまくったり、誰かにイライラしたり
とにかく忙しく、不満を並べ立ててきたけど、それが無くなって。

退屈だった、ガチで退屈だ、と思った。
感じたことがないほど退屈だった。
これが穏やかさなの?

でも、ここから幸せの生産に向かうのだ。
ただの退屈ではなく、幸せの生産に向かえるんだよ、と自分に言った。

 

周囲に引き上げられて

「あの人達と会う日まで、波動を高めて生活しておきたいな」と思うようになった。
そう思ったら、日常、イライラして過ごすなんて出来なくなった。

「波動を高めて暮らす」ことを意識している人達が居る。

よく考えたら、ずっと居たのにね。昨年までの時間だって。
私には全然、見えていなかったということになる。

 

小さな小競り合いなんかは、あるかもしれないけど
基本的には、そんな次元に居ない人達。

これまでの長年の付き合いの、あの人もあの人も、本当はそうなのかもな。
この視点で見てみると、違ったのは私だけだ、と認めざるを得なくなる。

周囲に思いっきり引き上げられて、私の今がある。

 

 

次元の問題

年明けなのに堕ちに堕ちていたけど、用意されていたかのような素敵な出会いがあり
一気に回復した、というか引き上げられた。

これまでの居場所というか、次元は何だったんだろう?という状態。
真冬だがコタツをしまい込んで、部屋をスッキリ磨いて、仕切り直しだ。

「真冬だからウォーキングなんて出来ない」になってたけど
吹雪の中、2回やったし、1日1時間歩いても全然疲れなくなった。
食欲は万全(モリモリになり過ぎ?)夜は超短いけどぐっすり眠れるし。

単純に、次元の話なのだった。
超・下にも行けるし、今の状態で思いきり高めることも出来て、自在だ。


今の状態だと、添加物入りのお菓子とか意識に入らないです。
かといって食べて縛られることも無く、サクッと終えられる感じ。
先日まで暴食してた自分とは思えない。
「上げていきたい欲」があるせいか、そういうものと一線を画して居られる。

ここでキープしてると、なんにでも前向きに取り掛かれる。
問題を、問題と感じない。
サクサクやって、もう終わってた!みたいな感じ。

どんどん出会いがある。
これも、旅先と同じような状態、波動になってる。


マドモアゼル愛さんの「簡単だよ!」という動画を聴いた影響もあると思う。
暴食であんなに苦しんでいたけれど、今は「簡単だ」が腑に落ちてしまって
あっさりと卒業してしまったんだから。

必ずしも「苦しい過程」があるわけじゃないのだ。
必ずしも離脱症状とか、禁断症状とか、そういうのがあるわけじゃないのだ。
本当は、次元の問題だったのだ。

 

久々の熟睡(というか眠った感)

昨日は45分散歩をしたのもあってか、朝は「よく寝たー!」という感じで目覚めた。
普段は「全然寝てない!」と思いながら起きるので、ずいぶん久々だ。

「よく寝たー!」という時の、安心感ときたら。
私はこういうのを、思いっきり忘れてる。

今日は初めましての方と打ち合わせ(プチ制作)で、楽しかった。
お家が綺麗で綺麗で、びっくりした。
こんなところに住んでいる方がいるのかと!

私の日々の断捨離と掃除は何なんだろう? と住む世界(波動世界?)の違いを
思ってしまうけど、私も思いっきり動いてはいるから。

私は冷たいばかりか、もう終わりかけの世界に居ると思う。
両親もそうだ。
暗くて、冷たくて、水に浸かっているかのような世界観の中に居るんだって
思い知らされている。


これでもか、これでもかと突き付けられる。
でも、有難いことなんだよな。
身体のことも、本当にやるべきことだから。

今日はレインコートを着て、1時間歩いた。

塩分控えたら食への執着が薄れた

塩分を控えて、ほぼ無塩のミネストローネ、野菜ジュースなどを中心にしたら
食への執着が、驚くほどに薄れている。

年末は「●●のカレーパンと、ガトーショコラが食べたい!」とわざわざ買いに走るほど
強い執着に振り回されて、絶望的に疲れていたのに。

日常ってこんなに疲れるものだっけ?
食への執着がこんなに強いのは、おかしくないか?

という状態だった。

結論的には「おかしかった」ということになる。


たった2日間、塩分を控えめにしただけで、驚くほど静かな状態になっている。
塩分過剰→薄めるために食欲が大爆発 となっていたのだ。

現代は、普通に食べてるだけで、食欲大爆発になりがちなんだな。
改めて、こう感じている。

 

まともな時の私の状態は

・お腹が空き始めても「ギャーッ!早く食べたい!」とならない。
 ゆっくり料理しよう、という感じ。

・「あれ食べたい、次はあれも、次は」とならないで
 シンプルなスープや野菜ジュースを欲する。

・大量に食べたい、という思考にならない。

・「無理に朝食を抜く」ということもしない。

・血糖値が大きく上下する感じがしない。

・過剰な欲や、不足感が無い。


数日前とは別人だ。
「食欲に振り回されないようになりたい」と思ってたけど
私の答えは、塩分・糖分を摂り過ぎないこと。
塩分を控えめにすること、のようだ。

 

1日1食の日 + 仕事のこと

晦日に赤ワインを飲んだら、肝臓が「アルコールまでは分解しませんから」となり
肉料理や煮しめの塩分もあいまって絶不調。
昨日は1日1食になった。

寝る時も、起床後も身体がポッカポカ。
脂肪燃焼モードってこんなふうに発熱してくれるんだなあ、と感動した。
いきなり調子が良くなり、みかん2個・納豆・ミネストローネ・ご飯1杯・ナッツ。
食べ過ぎたけど、良しとしてる。

貯め込んで貯め込んで、どんな不調にもフタをして、食べて食べて。
その結果、肝臓を限界まで追い込んでしまった。
ちゃんと燃焼してからのご飯は、こんなにも美味しい。
飛び上がるほどの美味しさだった。

ちゃんと燃焼して、スッキリして、美味しくご飯を食べようと思った。

--------------------------------------------

 

どこか仕事のことが「もういいや」モードになってる。
「やってもやっても、MAXでこれぐらいの利益」というのがあるから?
「心の次元を変えることに集中するのが吉」だから?

自分の中に色んな価値観が入り混じって「これ」という1つの指針が無い。

仕事!となったり、それよりも心のこと!となったり。
本当はこの両方なんだけどね。

仕事しながら、心と向き合って次元を上げていき、掃除と断捨離も1日1時間やる。
これだけのことなんだ。
やっとスッキリした。

2024年

晦日に赤ワインを飲んでから、異常に身体が怠くなってしまい
散歩どころか、自分の部屋に行くために階段を登るのもキツイという状態だ。
大げさではなく。

昨日はダラダラと寝ていたし、今日は全身が凝りに凝っていて、本当に不調。
でもこれにて、飲酒はきっぱりと止めようという結論に至った。
もともと年に1回しか飲まないんだけど、その1回すら止めると決めた。

この不調のおかげで、と思ってる。
身体に優しい食事をしていくこと、不調にならぬようにケアすること
特にセッション前や、人と会う前には気を付けること。


昨年はとても動きがあって「生きたな!」と思える1年だったので
今年も楽しみで仕方が無い。
こんな気持ちになれているということが、凄い。
ふり返っても、こんな気持ちだったことは無いかもな。
有難さしかない。感謝しかない。すでに。

 

今年も片づけは続く。

・台所の調味料の山(減らしてシンプルにする!)
・大物家具(業者に持っていくか、解体してもらう)
・二階の一室と客間をきれいにする
・私の部屋を完璧な状態にし、温かみのあるインテリアにする
・制作用具をきっちりと片付けて、職人仕様にする

 

これをやりながら、後は半分、自動展開だという気持ちだ。
何かに成るために!ではなく、もう達成しているのだ。
望む生き方をしていて、これをずっとやっていくだけなのだという気持ちだ。

私は起こることを助けていくだけ。
浄化してキープ、促進していくだけ。

 

滋味あふれる時間と、心のささやき

昨日はクリスマスの市に出店させていただき、なんとも言えない良い時間を過ごした。
この先が楽しみになる、新しい出会いもいくつかあって。

こんな風に生きていきたいという生き方をしている。
後は収入を増やしていくだけ。
後は健康で生きていくだけ。
「生きていきたい、健康で生きていきたい」という願いしか無いとも言える。


でも私の別の部分が、未だにささやく。

「こんなのでいいの?こんなに地味なのでいいの?
 あの人も、あの人も、楽しいのかな?
 パッと海外行けるような感じ、大きなお金に恵まれてる感じになりたくない?
 みんなはそこまで目指してないみたいに見えるけど、君もそれでいいの?」

というような声が聴こえてきて、今を否定したくなるんだ。
没入しきれない、没入してはいけないというような気持ちになる。
少しずつ、その声は小さくなってはいるけれど。
私の真の部分は、何が大切なものなのか、分かっているけれど。
最後の最後の部分で、なんとか私の中に居座ろうとしているものがある。

現実において動くと、その心のささやきも聴こえやすくて、考えやすい。
いつも聴こえてくる「こんなのでいいの??」は、本当はYesなのだ。
これだけでいいのだ。
でも私を苦しめようとして、無いものを渇望させようとして、ささやいてくる。

私はこの思いグセを変えたい。
清貧で何も望まず、という生き方をしたいわけではなくて
感謝しながら最大に楽しむ生き方をしていきたい。

この1年は、中身が濃かったな。
感謝だ。

この1日を渡さない

一応自営業となり、自分の時間を全て自分でコントロールするようになってから
「異常に何もしたくなく、暴食してしまう日」に耐えかねていた。
たとえ元気な日であっても、暴食の日が訪れるのを恐れていて、落ち着かなかった。

自分の中の破壊的なエネルギーに、1日1日を、きっちり丁寧に潰されてる。
潰されてるのではなく、自分が潰すことを選んでいる。

それはそれは「きっちりしてるな、丁寧だな!」と感心してしまうほどに
綿密で、抜けが無い、脇が甘いということが無く、職人的なのだ。
こうも毎日毎日、職人的にきっちりと、潰してしまっては本当にキツイ。。。

私は意欲がある日も、明日のこと、明後日のこと、未来のことを恐れてる。
そうではなく、この1日を渡さないということなのだ。
それができれば、明日も、明後日も、同じことができるのだ。

もちろん星の配置(逆行)などで、うまくいきづらい期間はあるだろうけど
それはあらかじめ知っておいて、流れに任せてやればいいだけ。
自分を過剰に責めず、いつも一定でいようとせずに。

私は本当に「いつも一定でなければ」が「しなければならない」が強いから。

こうやって1つずつ、旧い習慣を脱いでいくのが、本当に気が遠くなるけど。
でもそれは、良い方向に行く、これまでよりラクになるということだから。



私、今年は例年になく「生きている」と感じた年だった。
キツかったけど!!!
1年の仕事をふり返ってまとめたら、ギャーッと思ったけど!!

なぜ、生きていると感じたのか?
Mさんとの出会い、主宰イベント開催、複数回の(私にとっては)大旅行。
やりたいことをやったから、心震わせたからなんじゃないかと思う。

プラス、人生が良くなる道が分かって、そこを歩み始めているから。
良い方向にしか行かないって、安心感の中でやり始めているから。

そう、苦しくても、大きな安心感の中でやっている。